僕の中にいつも僕がいなかった

S君の17年間の苦しみ

 

 

僕の中に僕がいつもいなかった。
でも、今ここに僕がいる。
それが実感出来る!! 感じるんです。

君が感じたと思えるのは?

そこにずっと人はいたのだろうけれど、霧の中にいるようで、 何というか五里霧中というか、まったく手探りの状態でした。
人だということはわかるけれど、 ひとりひとりの違いが判別できなかった。 顔がなかった。
僕の世界には、害を及ぼす人、及ぼさない人しかなかった。
生きる価値の話を聞いてから霧が晴れたように、 人はひとりひとり本当に違うんだということを知った。

君の世界ってどんな世界? たとえば食べものの世界とか・・・

ぼくは今まで、「おいしい」「まずい」という味の世界はなかった。
ただ、たべものにむさぼりついていた。 食べるだけ食べていた。 腹いっぱい。
でも、おなかは満たされなかった。
生きる価値と同じくらい自分が変わったと思ったのは、 先生が作ってくださったごはんを味わって食べたということ。
僕は今まで味わうということを知らなかった。

 

 

天国と地獄は心にある

僕はいつも恐かった。
危害さえなければいいと言う思いで生きてきたから、 僕はまわりの人が僕をどんな風に見ているのか。
見られているのかということすら、僕の世界にはなかった。
だから、先生が 「もと君、袖口は、腰回りは、ベルトが垂れている」と 注意されても、それが何をいっているのか全くわからなかった。
ただ先生が袖口はこうして折るのよといって やってくださっているのを見て、そうすればいい。 ただそれしか考えれなかった。
今日は髪を洗ったの。 それは洗ったとは言えないのよ。 どんな風に洗ったの。 と言われたことがあったけれど、今はね、今はよくわかる。 よくわかるというよりも、僕自身が理解できた。
まえは、その言葉が「わかった」というようなものでした。

君は言われたことは必ずやる。
でもいわれた言葉に従っただけで、その言葉の持つ意味が理解できなかった。 
洗うといえば水で濡らすこと、きれいに書くは君の世界観のきれいだから、
 きれいさはわからない。 もっと言えばきれいと言う感覚、感情がわからない。 
その感情は心で見る、心で感じることだったけれど。 
今の君からみて、前の君はどんなふうに映るの。

きれいということがわからなかった。 美味しさがわからなかった。
お茶も熱い、冷たいはわかるけれど。 そんな僕だったから、「きれいに書きなさい」と言われた時、 相手が見やすいようにという考えは全く知らなかった。
僕の中に「相手」が存在していなかった。
時間かけて一文字、一文字をかけることだと思っていた。 僕の今までの世界は地獄だった。

 

 

自明性というものが存在していなかった僕

先生が自明性が喪失していたとおっしゃっていたけれど、
あの頃の僕は、もともと自明性が存在していなかった。
話すことも、聞くことも、真似することも、何かをする作業も、
出来なかった。だから、苦しかった。

だから、僕が死にたいと思った時、本当に死を考えていたのではない。
誰かに助けてほしかった。
と言って、何をたすけてほしいのかそれもわからない。
考えていたことが言葉で何にも表現ができなかった。

真似をしても真似ができない僕。
聞いているのに理解できない。
皆が当たり前に出来ているのになぜ僕にできないのか。

今、自明性は少しづつ生まれてきた感じがする。
もし、昔に帰れたなら、3歳頃から小学1、2年の時に感覚を何度も
教えてもらったら、と思う。
でも、これはこれで僕の人生だと受け止めている。

今朝、僕は意識しないで歌をうたっていた。
家族が僕の歌声を初めて聴いたと言った。
歌の世界がほんの少しわかった感じがした。

 

 

僕なりの傷つかない生き方

いつも他の人に叩かれたり、害を及ぼされたときは、 怒りという感情はわくのですけれど、 それは、小説やテレビを見ている感覚とおんなじで、 第三者としてその小説を読んでいるという感覚でした。 第三者として見た方が楽だった。 傷つかなくてすむから。

君の頬を叩いたことあるでしょう。その時は、どんな感情を持ったの? 

先生にここ(頬)を叩かれたときは、「痛い、あっ僕ここにいる」 この一言です。

 君はそうした感覚がないと自分を感じられなかったの!

そうです。顔に水しぶきをあてると、目に水が入って痛い。 痛いから起きれる。

君はいつも「おそってくる怖さがある」といったけど、
 私が叩いたとき「こわい」と思わなかった? 

僕にとって先生に叩かれるのは他の人とちがうんです。
先生に叩かれたとき自分の体の中に本当の僕が入って来るのです。
そして時間がたつと、いなくなります。

君はいつも「自分」を感じたかったのね。
 感じるには「痛み」という感覚しかなかったんだ。 


先生がかわいそうと言ったときと、 生きる価値の話をしたときの顔がいっしょだったから、 「あ、これは」と思った。
そうしたら、「かわいそうだ」と先生が言った意味が分かったんです。 

 

 

 

僕がいない、僕の生活

中学3年 1月17日

身体がものすごくだるくなる。
自分がこうしなくてはいけないというのを形にした世界にいきている。
嘘をついていなければ。
心が別の世界に言って蝋人形みたいになる。
なにもない、ただの身体みたいになる。

(大原)
頑固になることで嘘を守っても、心は不安になります。
これは基ちゃんだけではなく誰もがそうなります。
でも基ちゃんの世界の嘘は違うのでしょう?基ちゃんの嘘の世界。
誰も知らない君の世界で、今生きていてどうですか。住み心地は。
頑固に嘘を貫くことも、守りには必要です。
でも君の嘘は、純真な態度で真面目な顔をして、
嘘を平気で貫くその姿がキライです。
君がキライではなく、そうしたその行為がキライ。
嘘がバレバレなんだから。わかった!

(鮫島君)
小中高でも時たま、僕のすべてが演技だと一人でいる時間のときにおもってしまう時がある。

 

 

 

雪道を歩いても、僕の足跡はない

悲しい、苦しいの言葉は知っていた。しかし、感じる心はわからない。
黒色は全てを塗りつぶしてしまう。だから恐い。
塗りつぶしてみんな消してしまう。だから恐い。
でも心だけは黒色の中で、うねうねとうごめいて残っている。
黒色が姿、形を消してしまう。他者は消えた姿が見えない。
「ここに私がいる!」といくら叫んでも、うねうねと動いても、
黒の中に閉じ込められて誰も気づかない。
「タスケテくれ」と叫んでもみんなは僕に気づかない。
そう思うと、恐くて、恐くてじっとうずくまる。
これが彼の「死の世界」。

そして日々の彼の世界は、
「雪道を歩いても、僕の足跡はない。歩いても、歩いても、
振り返ると真っ白の道。僕は本当に歩いていたのか。
それさえわからなくなってしまう。
誰かにすがりつきたくても、誰にすがりついたらいいのかわかない。
もしかしたら、すがりつきたいも嘘かもしれない。
嘘と本当もわからない。わからない。わからない。」だった。
これがわかったのは中学生になってからだった。

彼は見えないものに怯えていた。
そのひとつが、ジャンケンを異常に恐れていたところに
その怯えの一端がわかる。
彼は自分の身体の感覚がわからなかった。
私は、いつも彼の身体をなぞるように叩いた。
肩、腕、背中、腰、足と身体の線に沿って叩いた。
それによって自分の稜線を感じ、身体の感覚を取り戻していた。
それをしないと彼の感覚は口、手首といった使っている部分しか
感じ取れなかった。
彼のじゃんけんは相手の手首、指の部分が宙に浮いており、
自分も同じように部分だけが浮いており、その状態のまま
手首が開いたり握ったりしていると思っていた。
その状態が彼は恐かったのだった。

このじゃんけんのことは、つい先日、確認してみた。
すると彼は、
「そうです。手だけが浮いて動いているように感じて恐かった。
今、考えるとなんておかしなことを考えていたのかと思います。」
と言っていた。
当時は、感覚を軸に、彼との会話を理解しようと試みた。

 

 

 

なぜ、お葬式に赤の服は非常識なのか

なぜ、お葬式に赤の服は非常識なのか。
なぜ、たったまま食事をしてはいけないのか。
なぜ、電車の中でお化粧はいけないのか。

いけないのではなく、説明不要、あきらかなことがわからない。
しかし、これが自明性の喪失。
基君は、色、匂い、音、肌の感触、味覚の世界がわからなかった。

わからなければ、常識、非常識の区別、選別はわからない。
わからない世界、わからない社会、わからない自分、
わからない人間の中で彼は苦しんだ。

色の世界では温かい色、明るい色は理解できるがそれを想像する、
感じることが出来ない。
暗い色、寂しい色は全くわからない。
黒色だけは、「恐い」とこたえた。

匂いの世界も、感じることがむずかしかった。
音の世界は、「恐れ」しかなかった。音をだすと怯えた。

肌の感触は、強く握ると「痛い」といいながらも、
恐れや恐さはなかった。
反対にそおっとなでると彼は、一瞬手を引こうとした。

この日から、彼と会話するときは、手を握る、バニラの香りを
服につけることにした。
私の存在を名前ではなく、感じたイメージを彼に認識させることにした。
3ヶ月頃、香りをサンダルウッドに変えた。
すると「これ先生の匂いではない」と言った。
「お香の匂いに似ているでしょう」と言ったら
「お香か・・・・」と香りに関心をもった。

彼にとって、家の匂い、学校の匂い、給食の匂い等がまったくない世界で
日々送っていた。
匂いのない世界での彼は自分の居場所はつくれなかった。

 

 

 

真似をしても真似ができない

「基ちゃん、コップに水を半分入れてきてね。」
彼が持ってきたコップには8分目以上の水が入っていた。
歩くたびに、コップの水がこぼれていた。

半分、少し、たくさんといった量、広さの基準がわかっていなかった。

「喉が渇いたので、水をもってきて。」
「お花に水をあげたいので、水をもってきて。」
「墨をするので、お水をもってきて。」

こうして、日常生活の中から自明性感覚を感じさせようとした。
しかし、喉が渇いた感覚がなかった。
お花に水をあげる経験がなかった。
墨をする経験がなかった。

彼には、体験、経験がないのではと思った。
そこで、コップにジュースと水と塩水をいれて彼に飲ませた。
其の頃、コップで飲むことが上手にできなかったが、
あえてコップを使った。

ジュースは全部飲んだが、こぼしたジュースの方が多かったので、
半分も飲んでいなかった。

水は一口、二口飲んだだけだった。
「なぜ?」と聞くと、「飲みたいと思わなかった。」と言った。
「喉が渇いていなかったのね。」と言うと、
「あ~そうなんだ。」と言った。

塩水は、水より飲んだ。
「しょっぱいのが好きなの?」と聞くと、
「変わった味がしたので。」と言った。
「塩水だからね。」と言うと、
「あ~そうなのか。」とコップを見た。

「昔は塩水でうがいをしたりしたのよ。」
私は、塩水のコップにさらに塩を加えた。
そして「飲んでみる?」と聞くと、
「恐いからいいです。」という言葉が返ってきた。
その日はそれで終わった。
最近になって、鮫島君に聞いてみると、
「僕は、どれほどという基準がなかった。
なかったというより、わからなかった。」
と言っていた。

 

 

 

人の声が聞こえる

中学1年の夏頃から、手振りが見られるようになる。以前からあったが、成長するにつれて気になるくらいになった。それと同時に心の世界を話すようになった。此の頃の手振りは周囲をきにしないで堂々?としていた。手振りは左右の手を交互に振る状態だった。

(鮫島君)
「僕は雨のしぶきがキライ。なぜなら、しぶきが襲って来るように感じるから。槍のように襲って来る感じがするんだ。」
「人の心って一つだけだろうか。ぼくはもし心というものがなかったらどうなっているのかな。心って何を生みだすところだろう。ものすごく疲れる。」
「僕はね、人の話を聞いているんだけど、途中から僕の身体だけがすーっと消えて違うところにいっているんだ」

(大原)
 「基ちゃん、それは遊び場、休憩所、逃げ場所?」

(鮫島君)
「う~ん。逃げ場所」

(大原)
 「そこで基ちゃんは何をしているの?」

(鮫島君)
「なんにも考えていない。じっとして責められないようにしている」

(大原)
 「いつ、自分の身体にもどってくるの?失敗したら戻って来れないかもしれないよ」

(鮫島君)
「大きな音、怖い声、人が近づいてきたなとわかった時、あっ、いけない、戻らなければと思うんだ」

(大原)
 「君は5時間でも、机に向かって勉強しているよね。あれは辛くない?」

(鮫島君)
「それは好きでもない教科であれば、少しはイヤだなと思うけれど、机に向かっているときは危険はないからむしろ其の方が安心でもある」

夢中で語っているときは、手振りは全くなくなり、そして利発そうな基ちゃんがいる。その環境から少しでも離れると、鮫島君はまったく別な人間としてそこにいた。彼の世界は、彼以外は全く見えない世界だけに、彼を理解することはできなかった。温和な、従順、真面目な基ちゃん、それが此の頃のイメージであった。

手振りが何らかの意味があるのはわかっていたが、彼の叫びの色がまったくわからなかった。

 

 

 

不安と恐れが心の中に住んでいると・・・・

中学1年生の基ちゃんは、表面的な行為で自分を守っていた。たとえば、「一生懸命しているよ」「真剣です」という意志を極端な行為で出していた。

 (大原)
「基ちゃん 寝ているの?」

(鮫島君)
「えっ???寝ていません」

 (大原)
「本当に?」

(鮫島君)
「ハイ。嘘をついていません」

 (大原)
「寝ているから怒られたと思ったの。ちょっと話したいから私のところに来て。」

(鮫島君)
「寝ていません」

そう応えると、鮫島君は自分の顔を私の顔に近づけた。10センチくらいの距離にまで近づくと、彼は目を見開いて私の顔を見た。

 (大原)
「そんなに近づかなくていいのよ」

(鮫島君)
「でも先生がいつも怒る時、しっかり私の目を見なさい!とおっしゃっていたからそうしました」

これは、いつもあいまいな態度(無言、下を向く、とぼける)と思っていた私は「話す時は相手の目をしっかり見ること」と言っていたのです。彼はその言葉を覚えていたのです。ニラメッコをするような形になったので私は思わず笑ってしまいました。しかし、彼はその形を崩しませんでした。この態度には、「僕は嘘は言ってない!」という意志を伝えているのです。この行為の裏には「嘘」であることの証でもあることを彼は気づいていないのです。

さらにこの頃の彼は、言葉を言葉として理解する。同じ言葉でも感情、状況、関係性によってその中味は違うということ彼は知らなかったのです。

美味しいは皆が美味しいと言うから美味しい。
気持ちがいいは皆がそう使っているからそう使うのだと思っていたようです。

反対に鮫島君がいう辛い、苦しいは彼の世界観の中で発生した心の問題であるため、的確に理解されない苦しさがあったのではないかと思います。